あるサイトに、ムスリマさんたちがクレームつけておりました。
「がっかりしました」
「本当のアラブを理解して欲しい」
「残念」
と。
クレームをもらえるのはありがたいことだと思うのです。
たとえ耳が痛くても、それは成長の糧となるべきもの。
私も見ていて一緒に学ぼうと、注目しておりました。
ところが。
どこをどう直して欲しいのかを、尋ねても尋ねても、
「もっと違う角度で」
「不快」
「受け入づらい」
抽象的なことばかり。
意味がわからない。
何を言いたいの?
どの部分が不快なの?
なにをどうしてもらいたいの?
ムスリムの世界って、とても融通の利く心の広い宗教だと聞いていたけれど。
融通が広すぎて、詳細を語る言葉を持たないのでしょうか。
会話が成り立っていない。
恐いと思いました。
私もいつか責められるのでしょうか。
そして尋ねても尋ねても、どこをどう直して欲しいのか教えてもらえずに
「がっかりしました」
「不快」
と突き放されるのでしょうか。
アラビア語への意欲をすっかり失ってしまいました。
そのとき目に入ったのが、そこの管理人さんのお言葉。
> アラブ人でも日本人でもいいかげんな人もいる、うるさい人もいる
> 親切な人もいる、丁寧な人もいる・・
> それは国や民族のせいでなく、個人個人の話だってことです。
ああ、
…目の前に意味不明の恐いムスリマさんが集合していても、
別の場所には優しいムスリマさんがいっぱいいると思って良いのでしょうか。
でも今は何もする気力が起こらない。
[後日記 4月10日(土)]
問い続けたけど、結局わかりませんでした、あの方たちが何を訴えたかったのか。
「空港で職務質問を受けるなどいろいろ偏見や差別があるのです、わかってください」というお話でしたが、職務質問とあそこの管理人さんの言動にどんなつながりがあるのか、わけがわからなかったのです。
わかったのは、それが「ムスリマさんたちの意見」ではなくて、アラブ人と結婚して「神経質になった日本人の意見」らしいということ。
その後、アラブの方やイスラム教徒の方のご意見をうかがうことができたのですが(ありがとうございます)、
アラブ人との結婚をきっかけに入信した方々の中には、気苦労が多いあまりに、被害妄想的になったり自分の生き方に他人を巻き込もうとしてしまう人が時々見られるのだそうです。それほどに日々神経をすり減らして暮らしているという現実があるのでしょう。
アッサラームアライクム(あなたがたの上に平安を)と、願わずにいられません。
私は私で、親愛の情を抱いていたはずのムスリマさんたちの言葉にショックを受けて、危うくアラブ嫌いになりかねない状況に陥っていましたが、
あれが「ムスリマとしての意見」でも「アラブ人としての意見」でもないことが徐々にわかってきましたし、私が本来想像していたとおりの寛容なムスリムさんムスリマさんもちゃんといらっしゃることがわかりましたので、
気をとりなおして、また楽しくアラブとアラビア語を学ぶ生活に戻りたいと思います。
クレームを書いた方々の幸せを心から祈りつつ…。
2010年3月30日火曜日
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